こんにちは。藤本です。
週末にパソコンを整理していたら、私の留学前のTOEFL(CBT)の受験履歴のデータが出てきました。
なかなか示唆に富んでいましたので、当時のスコア推移を公開してみたいと思います。
うーん、我ながら、なかなかリアルなスコア推移です。
ちょっと見てみますね。
まず初回受験のスコアが137点(現在のTOEFLで47点、IELTSで4.0程度)でした。
その後、順調にスコアは伸びます。(初期の状態)
6回目の受験で233点(現在のTOEFLで90点、IELTSで6.5くらい)まで伸びます。
この頃は受験する度にスコアは伸びていたので、あと2回くらいで目標の250点(現在のTOEFLで100点、IELTSで7.0)は達成できるかなーという感じで楽観していました。
しかし、ここから苦難の道が始まります。
次の回で謎の40点ダウン。IELTSだと一気に1.0ほどダウンした感じです。
その後200点前後をうろうろすること数度。何度か浮上しかけては突き落とされる感じです。
恐怖の停滞期に突入したわけです。
6回目の自己ベストが半年以上更新できないという状態に陥ります。
こうなると6回目のスコアがたまたまのマグレだったんではないかと思えてきます。
結局6回目のスコアを超えて自己ベストを更新出来たのは14回目、8ヶ月後のことでした。
しかしそこからもスンナリは行きません。
さらに2度ほど点数が落ち込む時期がありました。(第2の停滞期)
そして、最後にようやく分厚い250点の壁を破ったという感じです。(ブレイク)
こうしてスコア推移を見返すだけで、当時の辛い思い出が蘇ります(笑)
当時は「なぜ6回目で出来たことが今出来ないのだろう?」とか「どうして250点の壁はこんなに厚いのだろう?」とか考えていました。
が、こうして冷静にスコア推移を見ていると何となくその原因が分かります。
まず5回目~12回目の受験くらいは200点が私の実力だったのだと思います。
6回目で良いスコアが出たのですが、やっぱりそれはたまたまに近かったのではないかと思います。
今は無くなりましたが、当時のTOEFLはCAT方式と言って最初の数問の正解率で高得点ゾーンに入るか、低得点ゾーンに入るかが決まってしまう方式だったため、多少運にも左右される要素がありました。
多分6回目はそれがいい方向にころんだケースだったのでしょう。実力以上のスコアを取ってしまって油断してしまった、ということかもしれません。
そして200点前後のスコアが続くことになります。
それが13回目くらいを境に平均値が上がっています。
波はあるものの最低でも220点はキープするようになっています。
この時期、確実に実力が上がったのだと思います。(成長期)
そしてそのレベルでのスコアがまとめられるようになって、しばらく停滞の時期があり、最後にひと伸びしたという感じです。
色々な方の受験記事なんかを読むと、こういった感じのスコア推移をする人は少なからずいるようです。
最初は順調に伸びます。
これは試験への慣れとか、全く英語をやっていなかった人が単語力や文法力を強化することで伸びていく部分です。
そしてそのままの勉強法で限界が来ると少し停滞します。
停滞期間も多少スコアの前後はあります。
それは受験した時に出た試験問題との相性や当日の体調などにも拠るでしょう。が、基本的にはその人の実力に近い水準で上下するということです。
そして実力が上がっていくと、上下するスコアの平均値が上がっていくような感じです。
その水準の中での出来の良いスコアが目標を超えればそれで良し、もしその水準でのマックスの出来であっても目標に届かないということであれば、実力の水準そのものをもう一段上げていく必要があるということです。
じゃあ私がその水準を上げていくのに何をしたのか?
思い返してみると、順調に伸びた最初の6ヶ月、停滞期の6ヶ月、実力の水準が上がった13回目以降、最後のひと伸び、それぞれの時期にやったことがあります。
今日はここまで長くなりましたので、次回の投稿で続きを書いてみたいと思います。

最後までありがとうございました。